穏やかな光の入る窓辺で、小さなキミはスヤスヤと眠っていた。
当時住んでいた古い小さなマンションの一室。
帝王切開だったため、お腹の傷がまだ少し痛む。
何もかもが初めてで、
ただ、飽きることもなく、ずっとずっとキミを眺めていた。
時間のあるかぎり、ずっとずっと、ずっと、眺めていた。
あくびするたびに、口の中を覗きこみ、
顔の横でキュッと握っている小さな手を開いてはシワの中まで観察し、
首のあたりに顔をうずめてはクンクンと匂いを嗅いでいた。
どの角度からでもめずらしすぎて、何百枚と写真を撮った。
ただ寝ているだけなのに、ずっとずっとビデオをまわしていた。
スマホ普及率がまだ4.4%という2010年、「デジカメ」と「ビデオカメラ」をエンドレスで持ち替え続けた。
(撮りっぱなしで大量の放置データの整理は老後の楽しみにとっておこう…)
油断をしていると、モゾモゾし「ウニァ!ウニャ!」と、なんらかのフマンを訴える。
それが、腹が減ったなのか、オムツが汚れたなのか、眠たいのか、または単なる運動なのか、当の本人もまだわからないらしいんだ。
私は慣れない手つきで、そーっと抱いては一つ一つ確認した。
そのどれでもない時は、洗面台に湯をはり、即席風呂に入れた。
それほど大きくもない洗面台だが、キミにはおあつらえ向きの湯船だ。
どんなに不機嫌でも温かい湯にとっぷりと浸かり、ゆらゆらと揺られると気持ちよさそうに虚になっていく。
正確なオムツの当て方や、母乳のあげ方、お風呂の入れ方などは、全くわからなかったけど、まあなんとかなったようだ。
外はとても穏やかな秋の日で、窓から高い青い空がのぞいていた。
時々、金木犀の花の香りが風に流れて部屋に入ってきた。
スヤスヤと眠る息の音を、そばでじっと聞いていた。
とってもゆっくりと時間が流れた。
キミの隣で本をひらく。
なんともなしに、開いたページ。
金子みすゞ
「はちと神さま」
はちはお花のなかに、
お花はお庭のなかに、
お庭は土べいのなかに、
土べいは町のなかに、
町は日本のなかに、
日本は世界のなかに、
世界は神さまのなかに。
そうして、そうして、神さまは、
小ちゃなはちのなかに。
小ちゃなはちのなかに。
チイチャナ ハチノ ナカニ…
この世界は、果てしなく とてもとても大きかったけれど、
神さまがいて
この腕の、こんなに小さなキミのなかに、
確かに 神さまがいて。
…私は、涙がこぼれて こぼれて、とまらなかった。
タン太、お誕生日、おめでとう。
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